吉原宿のうつりかわり
鎌倉時代のはじめ、砂山の湊(みなと)寄りに見付(みつけ)が構えられ、長い間旅人を船で渡していました。
しかし、漂砂(ひょうさ)や高波の被害が多かったので、天文(てんもん)年間(1532年〜1554年)に今井・鈴川(いまい・すずかわ)地区へ所替えしました。そして慶長(けいちょう)6年(1601年)幕府から吉原宿として指定されました。
これが、のちの元吉原宿です。ところが、寛永(かんえい)16年(1639年)に前と同じ理由で、また所替えしたのです。
それは、依田橋(よだばし)村の西方でした。これが中吉原宿です。しかし、延宝(えんぽう)8年(1680年)8月6日の大津波の被害で、またもや今の吉原商店街の位置に所替えしました。江戸時代の新吉原宿は東海道五十三次の宿場町として旅人でにぎわいました。
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( 写真説明 ) 脇本陣宿泊帳
( 写真説明 ) 道中駕籠