市教育委員会は、三新田遺跡を昨年10月から今年1月まで、4か月間にわたって発掘調査しました。
調査の結果、古墳時代及び奈良・平安時代の住居址や土器などを多数発見し、当時、この地区には大集落があったことを確認しました。
特に、奈良時代後半の特殊建造物址は、他の住居に比べ極瑞に規模が大きく、寺院又は役所址ではないかとみられています。
●縄文から平安時代の遺跡
大野新田、桧新田、田中新田にまたがる三新田遺跡は、古墳時代から奈良時代の遺跡といわれ、今までに多くの土器が出土していました。
今回の調査は、三新田土地区画整理事業にともない行ったもので、本格的な調査としては初めてのものです。したがって、三新田遺跡を解明するうえで、大変重要な調査となりました。
調査面積は、A・B地区の2か所で、A地区が2,500平方メートル、B地区が2,700平方メートル。当初2か月間の調査期間を予定していましたが、著しい土層の変化と、予想をはるかに上回る数多くの遺構と出土品のため、さらに2か月の期間延長をしました。
この附近は、地形的には海岸砂丘の丘陵地で、南に駿河湾、北に浮島沼と愛鷹山麓をもち、魚類などの食糧も大変豊富なため、古くから人が住んでいたと考えられています。
●すでに大集落を形成
調査ではA・B地区合わせて、古墳時代初め(4世紀)の住居址が36軒、奈良から平安時代(8世紀〜9世紀)の住居址が18軒見つかりました。古墳時代初めの住居址からは、甕(かめ)・壺(つぼ)などの土器が多数出土しました。
今回の発掘場所が、三新田遺跡の北端(中心は東海道線南側)にもかかわらず、相当数の住居址が発見されたことは、当時のこの地域の繁栄ぶりを知ることができます。
また、奈良時代後半(8世紀後半)の特殊大形建造物址が、A地区から1棟発見されました。この特殊建造物址は、1辺が16メートルもあり、他の住居址に比べ極端に規模が大きく、普通の遺跡では見られず、建物の近くからは布目瓦片(ぬのめがわら)が出土しました。
出土した布目瓦片は、この特殊建造物に使用されたものと思われます。
このような大形の瓦を使用する建物は、当時の寺院及び官衙(かんが)と呼ばれる役所、あるいは大豪族の館などに限られていました。
これに伴って、陶器の上に緑色のうわ薬を塗った緑紬(りょくゆう)陶器片と青銅製品も見つかりました。
緑紬陶器は、当時、朝廷から贈られる品物であり、これを贈られた有力者がこの地域にいたという証明につながります。この陶器は、他の遺跡ではほとんど見つかっておらず、県内では浜松の伊場(いば)遺跡に次いで、2番目です。このほかに、屋敷の境界線と思われる奈良時代後半の柵列状遺構がA地区で2本、奈良時代の溝状遺構がA・B地区で1本ずつ見つかっています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 4か月間にわたり、三新田遺跡を発掘調査
- 図表あり -
( 図表説明 ) 三新田位置図
( 図表説明 ) 年表
- 写真あり -
( 写真説明 ) 網のおもりに使われた「土錘」
( 写真説明 ) 奈良時代の土器「高坏」と「壺」
( 写真説明 ) 大形特殊建造物跡