わたしたちのまち富士市は、遠く旧石器時代から多くの先人たちが生活し、尊い文化遺産を残してくれました。これらの貴重な文化財をとおして、各時代を生きてきた先人たちの歴史の一部を訪ねてみました。
市文化振興課はパンフレットとして富士市の文化財(300円)とふじの文化財めぐり(無料)を発行していますのでご利用ください。
■曽我兄弟の墓(久沢地先)
建久4年(1193年)、曽我祐成(すけなり)、時致(ときむね)兄弟が父のかたき工藤祐経(すけつね)を上井出で討った史実にまつわる史跡は曽我寺。ここに兄弟の墓があります。
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■市立博物館(広見公園内)
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■浅間古墳(増川地先)
前方後方墳。今から約1,600年前に造られた古代豪族の墳墓で、市内で最も大型の古墳です。
古代駿河の国の国王の墓と思われます。
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■木造地蔵菩薩座像(松岡瑞林寺内)
仏師運慶の作だと推定されている。
鎌倉時代の力強い様式を示す極めて貴重な仏像で胎内墨書により治承元年(1177年)の制作と判明しました。
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■源太坂(源太坂地先)
寿永3年(1184年)、木曽義仲追討の源氏の軍勢がこの辺にきたとき、武将梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)と佐々木四郎高綱(ささきしろうたかつな)が頼朝の名馬磨墨(するすみ)、生月(いけづき)をめぐって馬くらべをした所と伝えられています。
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■永明寺(ようめいじ)の庭園(原田永明寺)
つつじのある岩山を背景に自然の滝をあしらった風景は絵のように美しく、市内ではおもむき高いまれに見る禅宗様庭園です。
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■鶴芝ノ碑(本市場地先)
この碑は、間の宿本市場の鶴の茶屋に建てられたもので、ここから雪の富士を眺めると、中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたそうです。
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■ディアナ号の錨(三四軒屋緑道公園内)
安政元年(1854年)ロシアのプチャーチン提督が、日本に開国と通商を求めて来航したが、安政地震に遭遇し、船は大破した。その修理に戸田港に向かった途中、西風により三四軒屋沖で沈没しました。
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■阿字神社(鈴川地先)
吉原湊の三ッ股渕に住んでいた大蛇のいけにえにされた娘、阿字をまつってあります。
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■山ノ神古墳(柏原新田地先)
海抜5メートルの砂丘地にある前方後円墳。古墳は東海道や開墾された畑などにより、原形は著しくくずされていて明らかではないが、前方部のあまり発達しないものが想定されます。
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- 図表あり -
富士市略図