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【広報ふじ昭和56年】ふるさとの昔話

富士川 そのむかし

 今から300年ほど前、古郡(ふるごおり)三代が50年の歳月をかけて雁堤(かりがねづつみ)を築き、富士川の水を治めて以来、新田が開発されるなど、富士川は私たちの生活に役立ってきました。
 それではずっと昔の富士川はいったいどんなだったでしょうか。


●急流たぎりたつ暴れ川

 富士川は現在すっかりおとなしくなっていますが、その昔は日本三大急流の一つとして知られていました。
 上流部にあたる甲府盆地は、大昔湖であったといわれます。そこの水は岩を削り、滝となって駿河湾へかけ下ったのです。
 特にひとたび大雨が降ると濁流がふくれあがり、見さかいもなくあらゆるものをのみこみ、災害をもたらす「暴れ川」だったのです。広大な扇状地一帯が富士川の川原であり、流路でもありました。
 奈良時代の万葉集には「富士山から流下した水のたぎりたつ川であった。」と記されています。


●通船により交易物資が

 江戸時代になって、京都の豪商角倉了以(すみのくらりょうい)は徳川家康から、富士川通船を命じられました。家康は軍事上の理由から富士川に橋をかけることを禁じていたのです。
 土木事業家でもあった了以は、苦心して川中の岩をとり除く工事を行い、慶長12年(1607年)通船を開始しました。
 甲州鰍尺(かじかざわ)から岩渕(いわぶち)や岩本(いわもと)まで、馬で3日の道のりを半日で下ることができ、村々は賑わいました。しかし、上りは綱を引いて川をのぼりました。
 最盛期には1,500そうの舟がありましたが、昭和3年の身延線(みのぶせん)の開通により、その姿を消しました。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 舟による富士川の渡し
- 図表あり -
( 図表説明 ) 富士川の流れ(平安−鎌倉時代)
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