■その1…現在
なぜ、富士市が紙の都といわれるか知っていますか。それは市内の工場の約4分の1にあたる380工場が紙・パルプ関係で、4万6,000人の労働者の約3人に1人が、この関係の工場で働き、さらに県下第2位の工業製造品出荷額1兆710億円の約40パーセントを紙・パルプで占めている日本一の紙の産地だからなのです。
では、これから製紙がどのようにして富士市最大の産業になっていったか、この歩みを4月にオープンする市立博物館の資料を参考にお話ししていきましよう。
■製紙の発達した要素
富士市が日本一の紙の産地になれたのは次の6つの要素が整っていたからなのです。
1.富士山の雪どけ水や潤井川・和田川があり、水に恵まれていた(紙1トンを作るのに水が50〜500トン必要)
2.富士山の裾野に紙の原料の木材やみつまたがあった。
3.工場を建てるための広い土地があった。
4.燃料が鉄道で容易に運べた。
5.東京や名古屋、大阪などの大消費地に近かった。
6.昔からの駿河半紙の伝統や内田平四郎、芦川万次郎などの製紙技術の研究があった。
■和紙と洋紙の区別
私たちは紙を和紙と洋紙に区別して呼んでいますが、どのような違いがあるのでしょうか。
実は、この2つには、はっきりした違いはなく区別することは難しいのです。
辞典によると、和紙はこうぞ、みつまたなどの樹皮を原料とし、手で抄いた紙。洋紙はパルプを原料とし機械で抄いた紙となっていますが、次回に出てくる機械抄き和紙の場合には、この説明では矛盾(むじゅん)してしまいます。このため統計上では紙、パルプ、板紙の3つに分け、和紙、洋紙の区別はしていません。
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( 写真説明 ) コンピューターが導入された新しい製紙機械(写真提供:大昭和製紙)
( 写真説明 ) 山梨県、市川大門町の手すき和紙