赤いよだれかけをした、にこにこ顔のお地蔵(じぞう)さん、皆(みな)さんの近所にもきっとおられることでしょう。
このお地蔵さん、地蔵菩薩(ぼさつ)といってお釈迦(しゃか)様がなくなってから56億7,000万年の後に、みろく菩薩様がこの世に現れるまでの間、人々の願いや苦しみを聞いて私たちを救ってくださるという有難(ありが)たい仏(ほとけ)様なのです。全ての願い事を聞きとどけくてださるというので、各地に子安(こやす)地蔵とげぬき地蔵などいろいろな名前をもった地蔵さんが祭られています。
今回は子どもを授(さず)け、丈夫に育ててくださる上和田(うえわだ)の子安地蔵さんのお話です。
今から800年ぐらい前、建久元年(けんきゅうがんねん)6月24日のこと。この年は長雨の年でした。そのころの富士川は加島平野を勝手に流れ、洪水になると潤井川の水と一緒(いっしょ)になって和田川に流れこんできました。
上和田の東泉院(とうせんいん)(現在、東泉院はないが日吉浅間の付近)あたりの和田川は、この長雨で大水でした。お百姓さんは、この大水で田んぼが流されはしないかと心配し、田んぼを見るために本国寺(ほんこくじ)の裏の橋までやってきました。そこでお百姓さんたちは、橋げたにかかった木の地蔵さんを見つけたのです。この地蔵さんを東泉院の別当(べっとう)(一番主な坊さん)に見せると「これは川上の地蔵さんに違いない。故郷(こきょう)へお返ししたほうがよい」との返事でした。いろいろ調べたところ、富士川上流、甲斐(かい)(山梨県)の村の地蔵さんとわかり、その村に返してあげました。
ところが翌年(よくとし)の洪水、それも同じ6月24日、所も同じ橋げたに、同じ地蔵さんが流れ着きました。驚いた人々は再び別当に相談しました。別当は「きっと、この地蔵さんは、この地で祭ってほしいにちがいない」とおっしゃいました。それではと甲斐の村にかけあってみたところ「お地蔵さんは、上和田がお好きにちがいない。そちらで祭ってくだされば幸せです」との返事がありました。そこで上和田の人々は東泉院の境内に祠(ほこら)を建てて祭りました。
それから幾日かが過ぎた晩(ばん)、お地蔵さんが別当の夢枕(ゆめまくら)に立ち「私は安産を守護(しゅご)する子安地蔵である」とお告(つ)げになりました。それで人々は、この話を聞き伝え、子安地蔵と呼ぶようになりました。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図