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【広報ふじ昭和55年】ふるさとの昔話

三四軒屋沖の唐人の根っこ

 田子浦、三四軒屋(さんしけんや)沖の海の底には魚網を引っかけたら、網を切らない限り外すことのできない障害物が沈んでいました。この正体不明の障害物を地元のシラス漁師たちは「唐人の根っこ」と呼び、この付近は長い間、危険個所として恐れられていました。

 一体、この唐人の根っこはなんなのでしょう。
 話は今から約120年前の安政元年(1854年)に逆のぼります。この年の11月4日(新暦では12月23日)朝9時ごろ、わが国最大級のマグニチュード8.4の安政大地震が遠州灘沖の海底を震源に起きました。地震の大きな揺れは家や立木をバタバタと倒し、同時に大津波を呼び起こして県下各地の海岸や港を襲いました。
 この日、下田港には日本との和親条約の交渉をするためにプチャーチン提督(ていとく)のロシア(今のソ連)軍艦フレガード・ディアナ号が入っていました。
 ディアナ号は全長約60メートル、幅約15メートル、排水量は約2,000トンで、昨年11月の20号台風で柏原海岸に打上げられたゲラティック号の4分の1ぐらいの大きさですが、当時としては大きな軍艦でした。

ディアナ号の難破

 津波は下田港にも押寄せました。ディアナ号は全ての錨(いかり)を降したのですが、荒れくるう波には歯がたちません。船は回転しながら岩礁(がんしょう)に何十回も打ちつけられ、6時間後ようやく静まりました。舵(かじ)はとられ、マストも折られて船は傷だらけで、修理しなければ沈んでしまう状態です。
 日本側は修理港として下田港を示しましたが、ロシアはこの頃、イギリスやフランスなどを相手にクリミヤ戦争をしていたので、これらの艦隊に見つかりやすい下田港をことわり、戸田港を代わりの港として決めてきました。
 修理港は戸田に決まりましたが、強い西風のため、傷ついたディアナ号は出航できません。修理を急ぐディアナ号は樽を船体にくくりつけ下田を出港しました。ようやく戸田港近くまで来たのですが、あいにく夕方から吹きはじめた東風のため海が荒れ、代用の舵がこわれてしまいました。船は駿河湾を2日間漂流し戸田よりずっと西側の三四軒屋沖で錨を降しました。船は浸水を続け危険な状態になりました。「沈没だ!」最後の時を感じたプチャーチンは上陸を決めました。
 ディアナ号を発見した三四軒屋の人々は、心配顔で見守っていました。やがて、乗組員を乗せたカッターが船から離れるのを見た人々は体に綱をまきつけ、乗組員全員を救助しました。三四軒屋の人々は、寒さにふるえる異国の人々に、自分の着ている上衣までぬいで着させてやるなど暖かい心で接したという話が残っています。
 この時、沈んだディアナ号の錨が海底に残り、これが「唐人の根っこ」になったのです。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 引揚げられたディアナ号の錨(51年8月3日)
- 図表あり -
( 図表説明 ) ディアナ号難破のコース予想図
添付ファイル
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