田子の浦港ヘドロ騒動の主役、製紙カスは一部をいままで埋め立て処分していたが、富士製紙協同組合は市内桑崎地先に製紙カス協同焼却場を建設し本格操業に入りました。
これにより、ヘドロのもとの埋め立ては8年ぶりに終止符が打たれました。
市内118工場から出る製紙カスは日量約1,800トンで、昭和47年9月から埋め立て処分をしてきました。
この間、企業者の責任で1日も早く適正に処理することが義務づけられていました。大手企業は独自に焼却施設を設置、中小企業は、共同焼却を目ざして、協同組合をつくりました。このうち岳南第一製紙協同組合(鷹岡地区)は、昭和49年9月に焼却場を建設し、すでに焼却処分をしています。残っていた富士製紙協同組合(吉原・富士地区)も焼却場の建設を急いでいました。
10月からはすべてを焼却
富士製紙協同組合の焼却場は、総事業費15億円を投入し、昭和53年11月着工し、今年5月に完成しました。
処理能力は、44工場から出る製紙カス日量480トンで6月から本格操業に入る予定でしたが、一部施設が思うように作動せず煙突から燃えカスが排出。地元との間で結んだ公害防止協定に触れたことから改良を加えこのほどようやく完了しました。
この焼却場の稼動で市内製紙工場から出る製紙カスは、すべて焼却処分されることになり、10月1日、生投棄の終結宣言が発表されました。