今から400年位前の、天正のころのある日のことでした。
6月の陽(ひ)ざしは強く、から梅雨(つゆ)の日照りが3、4日つづいた東海道は、すこしの風でも砂ほこりがまいあがっていました。 白い手甲(てっこう)ときゃはんをつけ、わらじばきの7人づれの巫女(みこ)たちが、いかにも楽しそうに笑いあって、むし暑い東海道を西へ向って歩いていきました。
この巫女(みこ)は、下総(しもふさ)の国(千葉県)から修業のために京都へ行く途中でした。
「ここでひと休みしましょう。」と通りかかった毘沙門天前の茶屋のえん台に、腰をおろしほっとひと息いれました。
ところが、なんとなくあたりがざわめいています。
巫女(みこ)たちは茶屋のおかみさんに、「この吉原宿で何かあるのですか。」と聞いてみました。
三ッ股(また)渕に大蛇(だいじゃ)が
するとおかみさんは、いかにも待っていましたというような顔つきで話しだしました。
「この北側の三ッ股(また)渕には何年も前から大蛇(だいじゃ)が住んでいて、毎年6月28日の大祭日に村人は、小舟につんだ三俵分のお赤飯を渕のまん中に沈めて、大蛇(だいじゃ)の怒りを静める行事をやります。
ところが、12年に1度の巳(み)の年には、若い娘をいけにえにすることになっていまして、もしそれをやらないと、大蛇(だいじゃ)は怒ってこの土地に大難を与えるというのです。
そこで、いけにえになる娘をくじ引きで決めているのです。」
その話しをきいた7人の巫女(みこ)の顔色がさっと青ざめました。
いっそのこと沼津宿まで引きかえして、根方街道から京都へ行こうかと迷っていると、突然入ってきた宿場役人に問屋場の前まで連れていかれ、無理にくじを引かされました。
「神様!どうか当たりませぬように……」と心に思いながらひとりひとり、くじを引きました。
ところが、7人目に引いた一番年下の、おあじという巫女(みこ)のくじには、赤い丸がついていました。おあじを囲んで7人はその場にどっと泣きふしてしまいました。
(6月5日発行の広報ふじにつづく)
- 図表あり -
( 図表説明 ) 天正のころの東海道と三ツ股渕付近
- 写真あり -
( 写真説明 ) 現在の和田川と沼川の合流点