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【広報ふじ昭和55年】ふるさとの昔話

猿ばんどう

 大渕中学校の北側から大渕新田に通じる細い山道があります。むかしは、大渕本村や中野村から大渕新田へいく、たった一本の道でしたが、細い道の両側は、うす暗いほどの林になっていました。
 ですから村の人たちは、ここを通るのがなんとなくいやでした。その林の中に、いつか一匹のずるがしこい大猿がすみついていました。猿のむれから仲間はずれにされて、一人ぼっちですんでいたので、だんだん心がすさんだのか、悪いいたずらをするようになりました。この道は、すこし坂道になっていて、中ほどに大きなケヤキの木がありました。その枝が道の上においかぶさって道をなお暗くしていました。


大猿が火打ち石で火遊び

 その大猿は、どこでおぼえたのか、火打ち石で火をおこすことを知っていました。あるとき、そのケヤキの木にのぼって、人が通るのを待っていました。しばらくすると、一人の女の人が荷物をしょって下を通ったので、大猿は、ツケ木に火をつけて、女の人のま上から落しました。頭の上から火が降ってきたので、びっくりした女の人は、悲鳴をあげてにげていきました。
 猿は、それが面白くて、たまらなかったので、それから毎日いたずらをくり返して、通行人をおどかしていました。
 猿のいたずらが、だんだん評判になって、火を落して通る人をおどろかしたのは、大猿のしわざとわかりましたので、村人は大勢で猿を追い回して、とうとう生けどりにしてしまいました。


命乞いし、道の番を

 人々が「殺してしまおう」というのを聞いた大猿は、両手でおがみながら「これからは、決していたずらしないから」といいました。「こんどやったら、殺してしまうぞ」というと、大猿は、涙を流してあやまりました。
 殺すのも、ふびんだと思った村人は、そのまま放してやりました。
 それから間もなく、この大猿は、毎日ケヤキの根もとの大きな石にすわって、道の番をするようになりましたので、中野村から大渕新田へいく人たちは、うす暗い道でしたが、安心して通るようになったといいます。
 いつか、この坂道を人々は「猿番道」(さるばんどう)と呼ぶようになりました。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 猿が番をしたと伝えられる岩(右手前)

お知らせ

昭和55年富士市消防出初式 1月13日(日曜日)8時30分〜
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