【広報ふじ昭和54年】20歳をむかえて 私はこう生きたい
成人代表6人から抱負を聞く
20歳の成人を迎えた皆さん、明けましておめでとうございます。ことし、市内で大人の仲間入りする成人は2,698人あります。昨年は、インフレと不況、円高など目まぐるしい経済情勢の中に明け暮れましたが、この間、日中友好条約の調印や、大平新内閣の誕生などホットなニュースもありました。
また、ことしは、「羊の年」干支(えと)から、しあわせを呼ぶ年ともいわれ、市にあっては、昭和60年を目標とする「新総合計画」がいよいよ具体化し、未知に向って大きく飛躍する年でもあります。
そこで、ことしは、成人を迎えた6人の代表から、「私は、こう生きたい」というテーマでことしにかける夢や希望などその抱負を卒直に聞いてみました。
私の選んだ道
小野弘恵さん(中里4)
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私は今、某音大の1年生。すでに進むべき道が見えているとでもいえましょうか。今まで私が歩んできた道。これから歩もうとしている道が果して自分自身に対してよかったことなのか、今だよくわかりませんが、決して間違っていたとは思っていません。
私は小学校1年生の時からピアノを習ってきているわけですが、始めは好きでもない、嫌いでもない、いわば趣味程度の習い事にすぎなかったのです。それがどうでしょう。高校に入る時点で音楽高校と、早くもここで音楽という枠にはめ込んでしまったのです。そう、能動的に自分の将来を決定づけたのです。小さい時から続けてきたことをそのまま将来へ向けられる。そう思った時の満足感というのは、このうえないものでした。しかし、この間、挫折というものを何度、経験したことか、やめてしまいたい時もありました。
友だちが遊んでいるのを見て、何故私だけがこんなことを……と幼心に思うこともしばしばありました。
そんなとき、いつも救ってくれたのが母でした。そして私が音楽で身を立てることができるならば、それは親孝行であり、また感謝の意を表すことでもあると思うのです。
私は今まで続けてきた。そしてもう切り離すことのできないだろう音楽との縁は、これからもずっと続けていきます。これが「私の選んだ道」だから。(大学生)
失敗は二度やらない
大沼要三君(本市場)
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期待と不安を胸に抱きながら、この大興製紙の門をくぐってから早いもので、はや2年が過ぎようとしています。この間を振り返ってみると、富士山を見ながらの寮生活、会社での仕事で見るもの、聞くもの触るものが、すべて新しく興味深いものです。特に寮生活を体験したことで、学生時代両親の手の中で、ずいぶん甘えていたんだと思うようになったきょうこのごろです。
私もこの11月で20歳になり、一応大人の仲間入りをしたわけですが、今後は本当の大人になるために、自分の進む道をはっきりし、社会人としての自覚を持ち、すすんでいきたいと思います。
人間であるから、失敗もあります 一度失敗したことは、二度とやらないように、自分自身に納得のいくまで勉強していきたいと思います。
こういうことを土台にして、その土台を一歩一歩踏みしめて、本当の大人に早くなりたい。20歳は、青春の真っ只中だ、その真っ只中にいる俺、中途半端では終らせたくない。
この社会に入ったのは、人が選んだわけじゃない。自分で選んだ道だ一生懸命頑張るぞ。(大興製紙勤務)
私はこう生きたい
菊地晴彦君(鮫島)
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早いもので、社会人として2年の歳月が過ぎ、成人を迎えようとしています。今日まで自分なりに目標を持ち、厳しさを持って生きてきました。そして、離れて住む親に心配をかけないようにと思ってきました。ある時には、自分という存在がいやになり、逃げ出したくなる事も幾度かありましたが、とにかくここまで無事になにもなく、これたことを嬉しく思っています。
20歳になると選挙権が与えられ、社会的責任を持たなければなりません。今までのような子供的考えかたではなく、大人的なしっかりした考えを持ち、立場を考えて行動して行かなくてはなりません。難かしい事だと思います。今の私にできることは、人への感謝の気持ちを忘れずにお互いが見て見ぬ振りをせず、助け合って行くことだと思います。
大人、子供を問わず今の人達の中には、感謝の気持ちを忘れている人が多いように思われます。
自分だけでも……とは大げさですが、忘れずに生きてゆきたいと思います。(旭化成工業勤務)
悔いのない人生を
西村修治君(新橋町)
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生まれて20年たった現在、自分自身がどんなに変わった事でしょう。
昨年の私、一昨年の私、それぞれ違った顔をしていた様に思い出されます。
これからは、自分の持てる精一杯の力を出し、仕事にスポーツに努力し、今まで以上に社会のこと、政治経済のことにも目を向けて行きたいと思います。これから年をとっていき、「あの頃は……」と思い出せれば、その頃が青春だったと思って良いのでは ないでしょうか。又、努力したからこそ、青春の日々の思い出として残るでしょう。自分に対するこれからの課題として、「自分自身にどれだけ満足の行く、又、後悔をしない生き方をするか。」をかかげ努力して行こうと思います。(日産吉原工場勤務)
迷わず進む
加藤てるみさん(神谷1)
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私が青年活動に参加してから2年がたとうとしています。社会人としてなれない毎日を過ごしていた私が、偶然に知った青年団には、会社では得ることのできないすばらしい人とのつながりがありました。
入団当時、女子団員はわずか3名(うち同級生1名)とさびしい限りでしたが、そのかわり、会社での出来事から、個人的な不安や悩みを親身になって聞いてくれ、アドバイスしてくれる男性団員もいて、それはそれで私の生き方に大いにプラスとなっています。
現在、書記、会計という役職をもち、女子新人団員10数名をひっぱっていく立場ともなっています。
ここで考えたいのは、青年団自体の意義です。年こそ18歳から30歳ぐらいまでと、違いはありませんが、同じ目的と地域にいる若者の集まりです。その中には友情もありますし、恋愛もあります。時には反発しあいながら過ごしています。それだけでも青春を十分謳歌しているといえるのではないでしょうか。
でも私は思うのです。誰が選んだものでもない、自分自身で選んだ道、青年団活動です。活動を通じて人間同志のつながりをもち、それを維持することかできたら、すばらしいと思います。(須津青年団)
自分自身に「何か」を
菅原敏江さん(依田橋町)
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「20歳」よろこんでいいのか、悲しんでいいのかいつの間にか20年という年月が過ぎて、私も「20歳」という大人になっていました。そして気がつくと、人生という長い道程の転換期に立っていたのです。いつかこんな日が来ることはわかっていたのに… しかし、ここでもたついていてはいつまでたっても「人生の明日への船」には乗れません。自分だけとり残されてしまいます。そのためには これからの自分を見つめていくための「何か」をつかむことです。
「20歳」をスタートラインに何にでも挑戦したい。挑戦して「何か」をつかみたい。自分自身の「何か」を…。
いま人生の転換期。ゴールをめざして歩き始める私は、自分なりに、自分の長い人生の坂道を一歩一歩登って生きてゆきたい。まわり道をしてもいい。つまずいてもいい。それが私の人生なら…(興和富士工場勤務)
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