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【広報ふじ昭和53年】新総合計画の論文.作文入選きまる

議長賞 “明日の富士市のために”

富士市中央町3丁目 山田美冬(主婦)
- 写真あり -

 政治の要は、治山治水の一語に要約されるといっても過言ではあるまい。それなくして安定した生活は、あり得ないのだからそれで私の一文もそこから出発したいと思う。
 ドイツ人は、水を語る時まず土を語るという、土や森林を抜きにして、水は語れないのだ。そこには浄化機能としての土の重要性があるのだというが、地形の違う彼我を一緒にすることはできないとしても、このバックボーンをしっかと持たぬ限り生命の根元である水を治めることはできない。そのために何よりも優先しなければならないのが自然破壊の防止、環境の整備である。
 地下水脈は複雑で、1か所壊すと全く予期しなかった場所に大きな影響を与えるという。予期せぬ時期に予期せぬ災害による予期せぬ被害を出さぬためにも、自然破壊防止はなによりも優先されなければならないことなのだ。しかしそれなら手をつけず自然のままに放っておけばよいのかといわれればノウである。
 生態系を損なわず植林などによる治山整備は、常に行われなければならず、20万市民の共有財産としての公園機能も果たし、更に放牧による酪農も市民が新鮮な牛乳、乳製品、畜肉などの恩恵を受けるというかたちで産業として成り立たなければならないし、そうなり得る態勢を行政的にとってゆかなければならない。
 また上水道をトイレに使う国は、日本だけだと聞いたこともある。水分を処理するのにその何倍の水をもってするというのは考えてみればいかにも非合理的な話である。工場用水又しかり、水の循環使用ということを真剣に考えることが次世紀への責務だと思う。
 次に当然汚染防止を考えなければならない。産業部市である以上、産業廃棄物はある程度仕方のないことかもしれないが、公害は発生源でシャットする大原則は固持しなければならない。産業の絶対量が違って来た以上、いまや、かつての自然による浄化作用は期待すべくもないのだ。この大前提にたってさえ公害は防ぎきれないと思うのに、国は基準を軟化した。そういう中にあっても断固として地方自治体としての独自の基準を守ってゆく姿勢が欲しい。そのための科学的理論を確立するために、また更に水の循環利用や産業廃棄物の有効利用の研究をする総合研究機関の設置を望む。
 古くからその美しい風景をうたわれた田子の浦も今その海岸に立てば、防潮堤とテトラポットのただ羅列である。勿論、高波を防ぐ工夫はしなくてはならない。しかしこんな近くに海をもちながら、産業ゆえに海水浴もできない海岸にしたままでは困る。
 富士市の産業は生活と密着した二次産業であるから住民に親しまれる存在でこそあれ、公害源として憎悪の対象となる存在であってはならない。
 もう一つ早急に設置したい機関として、消費者センターがあげられる。利害相反することの多い商工課の中に場違いな感じでおかれた、おざなりの消費者行政では困る。何故、消費者行政を早急に充実しなければならないかというと、これからの消費者教育は、ただエゴ的な保身のための安全を求めるものではなく、宇宙船地球号という発想の中で、より広く、より高い次元で省資源教育をし、全市民の啓蒙を促してゆく使命があるからだ。そういう教育機関としてのセンターでありたい。消費者あっての産業である以上、全市民の幅広い健康と安全のために医療機関の充実と共に切に望むものである。
 どこのことか残念ながら忘れたが“公園街でお買物”というキャッチフレーズを新聞紙上でみたことがある。その時、未来都市の理想はこれだ!と思った。時折思い出したように行われる歩行者天国では困る。それが常時行われている状態、お祭りさわぎでなく、老人や子供が安心して買物に行ける状態という意味においてである。そのためには、商店街への車の乗り入れは極度に規制しなければならないが、道路の整備、時間制限というようなことで対応していく。建物の高層化は必至であるから、災害時の避難所も兼ね、交差点を拡大し、噴水や樹木によるミニ公園化をする。
 街を暗くするだけで何の役にも立たぬ今のアーケードは、取り払い、街路樹を植えた方がよい。街路樹が芽を吹き花咲き紅葉することで、四季を感じる街、ベンチで一服する時、この町に住む幸せをしみじみと感じる街、それは理屈でなく人の心を和やかにし、地域社会の人間関係をスムーズにしてゆくことにも役立つはずだ。
 住民福祉の面で是非考えたいのが、幼児保育と老令化する社会への対応策だが、これを切り放して考えすぎているような気がする。言葉としては老人、子供と一口にいいながら、施策としては全然別になっている。これをもう少し一体化して考えることはできないだろうか。例えば老人ホームに保育園を併設する。案であるから運営面のことを具体的に述べることはできないが、或る面では放し、或る面では一緒に行動する。ただ“大事に放置”されているホームの老人よりは、良い結果が得られることはまちがいないし、老人をいたわること、尊敬することが幼児より自然に培われることにも役立つはずだ。
 公民館活動も充実、定着して来ているが、まだまだその恩恵にあずかれない地区も多い。各町内で独自に作った公民館も含め、知的満足も得られる気軽な交流の場としての機能を果せるよう更に充実させると共に子供のための文化センターを設けたい。
 環境、福祉、生産と並び、文化都市を標榜する以上文化を育む土壌をまず作らなくてはならない。美しい花となる可能性を秘めた種子も根付く土壌なくしては開かない。その土壌作りのためのセンターであるから子供のための文化活動は、全てこれを利用できる。また、適切に指導、援助する機関でもあって富士市に住む全ての子供が、豊かな情操を育てられるよう、その機会を与えられる場としたい。
 20万の市民がいて、文化を大きな都市作りの柱の一つとするからには、大学も一つは欲しい。富士市にはユニバーシティよリカレッジの方がよいかもしれない。総合計画案の具体化に役立つような環境保全科、公害科等を含む産業大学といった形の農工大学が出来るとよいと思う。
 富士梨という言葉はあっても、市内の果物屋の店頭にそういう表示はない。出回っているのかどうかもわからない。名産に値いするものならば、適当な保護と更に積極的な育成をする施策を講じなければと思う。これに限らず、土地産の青果物が、潤沢に市場に出回ってるような流通機構の確立と、農業を見捨てたくなるような状況を、一掃しなければと思う。そのためには、思い切って有利な農業保護政策を考えなければならない。
 巨費を投じた卸売市場は、今どういう役目を果たし市民にどういう恩恵を与えてくれているのか?。開設に当って目標とした計画案のどれ位が実現しているのか、将来の見通しはどうかなど改めて総点検し、当初理想とした姿に近づけてゆかなくてはならない。
 著しい宅地化の波の中に押し流されてゆく畑をみるのは淋しいことである。
 以上書いてきたようなことは、一応誰にも考えられることではある。大事なことは、このような市政を押し進めてゆく原動力としての市民の姿勢があるかどうかということだと考える。そこにこそ富士市の明日がかかっているのだ。
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