ある日のでき事から
富士中2年 伊奈明美
- 写真あり -
数年前のある火災でのでき事である。私の父は、ガス関係の仕事を職業としている。その日も夕食の終った後、家族だんらんでみんなで笑いながらテレビを見ていた。しばらくすると、突然、パトカーと消防自動車のサイレンの音が、暗い夜空の中に響きわたった。すぐ、市役所の火災の放送がはいり私の家の近所だとわかった。その放送を聞いた父は、急いで外に飛び出し、どの家か確かめた。息をはずませてもどってきた父は、急いで、会社の人達に電話で連絡した。父は、電話機を置くなり、すぐに作業服に着がえて、火事の現場に向った。ガスの二次災害を防ぐためにだ。私も、母や兄と外に出て、見守った。外は身震いするほど寒く、北風が激しく吹きまくっていた。近所の人も心配そうに見たり、あわただしく走っていく人もいる。その間にも、火は風に吹き上げられ、勢いにのってどんどん燃え広がり、火の粉は回りの家々に降りかかっていた。消防車が何台も走り、市役所の火災のサイレンがウーウーと無気味に鳴り続けていた。その間も、会社の人達や、父は、ガスボンベを、いくつも安全な場所まで運んでいる。その後、近所の家を一軒一軒見回ってボンベの元センを閉めて、チェックをする。時にはとても危険な場合があるそうで、仕事が無事に終わるかとても心配だった。その家は母家は燃えずに、倉庫が燃えているということであった。火事現場の近所の人達が避難しはじめていたそれから1時間ぐらいたって、父たちが、顔や着ているものをまっ黒にして、ぐったりして帰ってきた。母もほっとしたように「ご苦労さまでした。」と、出むかえた。小学生の私は、まだ、体の震えが止まらなかった。「もう、火は消えたの。」「ほとんど消えたけど、まだ火がくすぶっているよ。」「おとうさん、どうしてこんなにまっ黒い顔しているの?」「10キロや、50キロのボンベを運んだり消防のポンプの水がかかったり………大忙しだったよ。」
といって、父は風呂場に行った。父の後ろ姿を見て、私は、今さらながらに、父の仕事の重要さを見直すと同時に、ガスの便利さと恐しさを思わずにはいられなかった。