- 写真あり -
富士に住めば東京へ乗りかえなしで行けるからと、富士市(町)に住む事にしました。その翌年町から市と改まりました。
その頃の八幡さま近辺には、家もまばらで夜などちょっと怖かったものです。側溝も田圃への水路で道の両端に草がおいしげり、足をすべらせた事もありました。田植の季節には枕元まで蛙がピョンピョンと何匹もとんできたものです。
東京に近いからと住んだものの、駅北へは踏切りを越えねばなりません。汽車の時間はないし、踏切りは開かずイライラと折角の化粧も汗に流れたものでした。
現在は駅南口もでき、時間通り乗車できるようになり、側溝もできました。井戸も床の下に昔の面影をしのばせているだけです。
駅前には新しいビルが立ち並び、大型商店の進出と、とても便利になりました。交通公害、産業の副産物を頂戴しない訳ではありませんが、それも進歩の一つだと思っております。