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吉原駅からバスで5分の所に名勝左富士の史跡があり、伝法や富士駅周辺には芭蕉の句碑があると聞く。
昔、宿場町として栄えた富士市を、広重や芭蕉はどんな思いで通ったのであろうか。
当時も富士山は今と変らず、様々な表情を旅人に投げかけていたに違いない。
ところで現代の富士市には、富士山についで世界に有名なものがあるそれは田子の浦港である。田子の浦港は数年前には、ヘドロで有名になり、当時は英字新聞にも毎日顔を出すほどで、これでは世界に知れてしまうと故郷が心配になったのを覚えている。
しかしさにあらず、富士には素晴しいネエルギーがあった。10年もたたぬうちに、いろいろもめたらしいが、ヘドロも緑地公園などに利用され、喘息も少しずつ減ってきていると聞く。町で時々外人の船員さんをみかけるが、港も年々利用が増えているようだ。
港はまた県内随一の工業都市の顔でもある。今後は20万市民の働きが、港の景気にも反映されていくだろう。
それを今後、核になって支えていくのは、全国から富士市に集まった若者であり、都会からUターンしてきた若者である。
今夜も富士見台から見下ろす富士の町は昼のごとく明るい。
富士市が世界に伸びてゆくのはあと何年先のことであろうか。
私の富士市は、たくましい工業の町である。