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【広報ふじ昭和52年】学園ひろば

ふじ市の製紙 5

昭和の製紙業

 今年は昭和52年、製紙業はこの50年間どんなふうに発展してきたのでしょう。
 大正から昭和に移っても、不景気は続きました。新しい工場ができる一方、仕事を休んだり、つぶれる工場もあったり……。こんなことのくり返しでした。
 斉藤知一郎さんが昭和製紙を作ったのは、昭和2年のことです。昭和13年、この昭和製紙は大正工業や岳陽製紙と一つになって大昭和製紙として誕生しました。
 昭和16年12月、第2次世界大戦に突入。戦争がだんだんはげしくなると、製紙工場は戦争に必要な火薬や飛行機の部品を作る工場に変わりました。このため、紙の生産量はいままでの7分の1くらいに下がりました。
 昭和20年、日本は負けて戦争が終わると、吉原地区の製紙工場はものすごい勢いでふたたび生産をはじめました。仙貸紙(せんかし)ブームは、このころです。紙は非常に不足していましたから、紙質がもろく、ざらざらした仙貸紙でもとぶように売れたのです。
 昭和の50年間、製紙工場はなんども景気のよいときや不景気を経験しました。つぶれてしまった工場も少なくありませんでしたが、なんとか切りぬけ、今では日本一の紙の産地といわれるまでに発展してきました。
 現在、工場の数は380、製品を作って売ったお金は2,995億6,900万円、パルプや紙産業は、富士市の工業全体の40パーセントを占めています。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 40パーセントの人はパルプや紙工場で働いています(50年工業統計調べ)
( 図表説明 ) パルプや紙工場10年間のあゆみ

“人権作文”で2人が優秀賞

 静岡地方法務局と静岡県人権擁護委員協議会は、中学生を対象に人権作文を募集しました。
 静岡県内で428点の応募がありました。審査の結果吉原第三中学校3年生加藤純代さんの「ほんとうの人権尊重とは」と、2年生篠田鉄也くんの「子供の権利」が優秀賞に、吉原東中学校3年生吉村和子さんの「人権について」が佳作に選ばれました。
- 写真あり -
( 写真説明 )  吉原第三中学校 3年 加藤純代さん
( 写真説明 )  吉原第三中学校 2年 篠田鉄也くん

こどものからだ

よごれた空気をすうと
 私達は、空気にふくまれている酸素をすって生きていますね。はきだすいきは炭酸ガスで、これは、人間にはやくにたたないかすの空気てす。
 人が多ぜいいて、しめきったままの部屋は、かすの空気でいっばいになります。また、ひばちやガスストーブ、石油ストーブがある部屋も、かすの空気でよごれてきます。火が燃えるときにも、たくさんの酸素が必要だからです。
 酸素の少ない、よごれた空気をずっとすっていると頭がいたくなります。
 人が多ぜいいたり、ストープを使っている部屋は、ときどき窓をあけ、きれいな空気と入れかえましょう。
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