【広報ふじ昭和51年】学園ひろば
ふるさとの歴史 ふじ市の製紙 3
手すきから機械すきへ
東京から神戸までの東海道線が開通したのは、明治22年のことです。交通の便がよくなると、よく年には鈴川駅(今の吉原駅)から8キロはなれた入山瀬に、富士製紙の工場ができました。
そのころは、手すきの和紙工場だけでしたが、富士製紙は中央の大資本でしかも機械すきの大きな工場です。富士山のモミやツガを原料とし、うるい川の水を利用しておもに印刷紙や色紙をたくさん造りました。
富士製紙に、ふきんの農家の青年達も多ぜい働きにでかけました。この中に、三木慎一(みきしんいち)さんという人がいました。慎一さんは工場で働くうちに、すぐれた製紙技術を身につけ、明治27年、原田に工場をたてました。紙をすく機械も自分で作ったのです。
富士製紙からくらべれば、もちろん小さな工場でしたが、手すき業者や製紙の技術を身につけている人達は、慎一さんのようにつぎつぎと製紙工場をたてはじめました。
現在、富士市には今泉や原田地区を中心に360の製紙工場があります。慎一さんの新しい試みが、製紙業を発達させるもとになった一つともいえるでしょう。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図
こどものからだ 13
やけどをしたら
子どもは、よくやけどをします。
子どものやけどは、なべやポットの熱湯、こたつ、ストーブによるものがほとんどです。
やけどをしたら、油やチンク油をぬらずに、すぐ冷たい水で冷やします。
ヒフが赤くなってヒリヒリするくらいのやけどは、いたみがとれるまてよく冷やせば、これだけても十分なおります。
子どもはヒフがやわらかいから、やけどに注意しましょう。
カレーはやっぱりごはんでなけりゃ
丘小学校と吉原第二中学校で、週一回ごはん給食がはじまりました。
11月5日が、ごはん給食の第1回目。この日丘小学校は、ライスカレー、野菜サラダ、牛乳とプリンの献立。
「パンはあきちゃった。カレーはやっぱりごはんでなけりゃ」
おかわりする子が多ぜいで、ごはんはすぐになくなりました。
- 写真あり -
7才の横綱だぞ
7才のお祝いに、元吉原幼稚園はすもう大会をひらきました。
行司は園長先生。さあいよいよ横綱をきめるさいごの取組みです。
ついに、ゆうすけ山が9戦全勝で7才の横綱にケッテイ!
- 写真あり -
添付ファイル
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