富士市 FUJI CITY Official Site

富士市
広報ふじ > 昭和51年 > 昭和51年2月5日 197号 > 【広報ふじ昭和51年】奈良時代の住居跡を発掘

【広報ふじ昭和51年】奈良時代の住居跡を発掘

天間地区ではこれまで縄文・弥生式時代の住居跡などがみつかっていますが、先ごろ奈良時代後期のものとみられるたて穴住居跡がみつかりました。同時代のものは、東名高速道路のインター工事でみつかった東平遺蹟があります。しかし、東平は郡役所跡といわれ、今回のように庶民の住居跡と思われるものは、県下で初めてのめずらしいものです。

カマドの跡もはっきり

 たて穴住居跡の発掘場所は、大月線沿いの天間北で、不動産会社がグランドを造成している所で、昨年みつかりました。そこで、吉原高校の植松章先生を中心に予備調査を行い、1月21日から本格的に発掘を始めました。
 これまでに住居跡が10か所、須恵器(すえき)、高坏(たかつき)、土師器(はじき)の破片、矢じりなどが出てきました。住居の広さは約4メートル四方の小さなものですが、ひとつだけ倍近くもあるものがあり、集落の長の建物跡ではないかとみられます。また、住居の中には穀物を入れて置いたとみられる貯蔵穴や粘土で固めたカマドの跡があり、土も赤くなって火を燃したことがはっきりわかります。

潤井川の水を利用し農業が中心

 住居跡は高台で、現在の潤井川までは600メートル以上ありますが、当時は堤防もなく川幅も広がっていましたから、100メートルぐらいしか離れていなかったと思われます。水の便もよく水田や畑もできる立地条件のよい場所ですから、稲やヒエ、アワなどを作ったり、川で漁貝類を取ったり、富士山麓で狩りをし生活していたようです。
 しかし、奈良時代は貴族社会で政治的機構ができていましたから、庶民(農民)は年貢を納めなければなりませんでした。花やかな都の生活に比べ、地方の一般の生活はきびしかったと思われます。

*須恵器(すえき) 祝部土器ともいわれ、ねずみ色の堅い素焼で、なかにはろくろを用いた跡もあります。
*高坏(たかつき) 食物を盛る足のついた台。
*土師器(はじき) 弥生式土器につづく赤褐色の素焼の土器。古墳時代から平安時代にかけて使われたもので、ほとんど文様がなく食器類に多くみられます。
〔奈良時代〕
 平城京を都とした時代で、元明天皇の和銅3年(710年)から元正・聖武・孝謙・淳仁と7代を経て、桓武天皇の延暦3年(784年)までの75年間です。これは皇居の所在による政治史上の便宜的な時代区分ですから前後の藤原京・長岡京の時代を加えて、8世紀の約100年間を奈良時代とも呼びます。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 住居跡の発掘を行う調査団
添付ファイル
※PDFを初めてご覧になる方は、ソフト(Adobe Reader)のダウンロードが必要です。
「Get Adobe Reader」のボタンをクリックし、説明に従いAdobe Readerをダウンロードして下さい。
Get Adobe Reader
広報広聴課 (市庁舎8階北側)
電話:0545-55-2700 ファクス:0545-51-1456
メールアドレス:kouhou@div.city.fuji.shizuoka.jp
〒417-8601 静岡県富士市永田町1丁目100番地 電話 0545-51-0123 ファクス 0545-51-1456
E-mail kouhou@div.city.fuji.shizuoka.jp