【広報ふじ昭和50年】学園ひろば
自然教室に参加して
元吉原中学校1年 長谷川玉樹
ぼくは今、少年自然の家でやった自然教室に参加してよかったと思っている。初めは、ほかの学校の生徒といっしょになると言うことで、いやだったけれど、お風呂に入るころにはすっかりうちとけて仲良くなりました。
先生から聞いた天体の話もおもしろく、楽しみにしていた天体観測も空が晴れてうまくできました。屋上はとても寒かったけれど最初から最後までずっと見ました。自分でも直接天体望遠鏡を動かし、木星、アンドロメダ星雲、スバル、アルデバラン、月、などを自分の目で確かめることができました。木星の衛生も2つ見え、アルデバランの二重星もよく見えました。月のクレーターも手に取るように見えたし、流星も「サー」と尾をひいて頭上の空から東の空に消え、本でしか見たことのないぼくは、こうふんしました。
翌日のフィールドワークもグループで仲良くできました。暗夜行路の時も目かくしをしてやって、木にぶつかったりとても楽しかった。
せっかく仲良くなった友達と別れてしまうのがとても残念で、もう2〜3日泊りたくなるほどでした。
自然教室に参加して、多くのいいものを得る事ができ、ほんとによかったと思います。また来年もこのような企画が行われたら、ぜひ参加したいと思っています。
第10回発明くふう展
中沢浩美さん(吉原第二中)に市長賞
第10回富土市発明くふう展を10月22日から3日間、吉原市民会館で行いました。出展作品は小学生76点、中学生185点、一般9点の合計270点もありました。
出品作品はいずれも独創性があって日常生活の中から考えだした優秀なものはかりで、賞を決める審査員も苦労していました。なお、審査の結果、中沢浩美さん(吉原第二中1年)が考案した砂取下駄箱が市長賞に選ばれました。
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ふるさとの歴史
かりがね堤の完成で新しい村が
江戸時代、幕府にとって一番大切なのは年貢でした。たくさん年貢をほしい幕府は、全国のあちこちにお米のとれる新しい土地をつくることをすすめました。かりがね堤がつくられたのも、そんな幕府の目的があったからです。
かりがね堤によって松岡、五貫島、宮島、前田、それに森島、水戸島、宮下、また高島、五味島、中島など今の岩松、田子浦そして富士駅のまわりにも村ができはじめました。
島のつく村が多いのは、河原とちがって少しは土のある中州(なかす・川の中に土砂がたまって、島ができたところ)に、最初に人が住みはじめたからです。富士川には、中州がたくさんありました。
新しい土地に、中里の古郡孫太夫のけらいや、伊豆、山梨、浜松の方からも人が移り住んできましたが、水を送り水田にする仕事は大変なことでした。
新しい広い土地にも、すみずみまで水がゆきわたる、富士川やうるい川の水を利用した用水路ができました。現在富士地区は、米、野菜、富士梨などなんでも作れる豊かな土地に変わっています。
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添付ファイル
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