岩松小学校6年 志田美裕
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父、いやおじいちゃんまでが通った岩松小学校。この小学校は明治6年にできたものだという。最初は巌松舎と呼ばれた。数々の変遷を経て、今のように富士市立岩松小学校となったのは昭和29年。今から19年前だという。
明治と聞いて想像するのは第一に明治維新。やっと西洋文化が入ってきて、肉を食べたり、服・ぼうし・かさを知ったころ。鉄道がひかれ、れんがづくりの家が見え始めたころ。岩松では、まだまだこんなことまでは開発されていなかったが、まもなくできたのが巌松舎である。木造で今は瀬戸河原に永光寺として残されている。
そして何年かたって林町の方にうつってきた。今は、明治時代の古い校合もずんずんつぶされて、鉄きん校合に変ってきている。わたしたちはその方がよい。新しい校舎に入るとなればうれしくなってしまう。きっと新しいものずきなのだろう。しかし父に聞くと、「むかしのおもかげがなくなってしまう。」なんて古い校舎もいいんだよと、いうようなことを言っている。それもそうかもしれないが、設備の整ったところの方がよい勉強ができるだろうとわたしは思う。でも校舎が変ってまったくおもかげがなくなってしまうということはない。みんなが校歌を歌い、後々へ残して歌い続ける。「朝夕富士をあおぎつつ…。」こうして何10年かいろいろの人たちの口から、教室で運動場で歌い続けられる。こういうこともむかしのおもかげだといえるだろうとわたしは考える。
岩松小学校の歴史、水泳や陸上が強かったということだ。今も岩松は水泳が強い。しかし、それは4年前にプールができてからのことだ。でも歴史では水泳が強かったという。プールもなかったのに今のわたしたちにとってふしぎだ。でもふしぎでも何でもない。そのころの富士川は、今のように、公害などなく水もきれい。底も急深などあまりない。それにガラスみたいなあぶないものもないからはだしで歩けたいう。
1口ではいえない、長い長い100年間。ずいぶん変ったものだと思う。これからのわたしたちは、今までの歴史を変えないように、水泳・陸上、今までよりもっともっとがんばる。自然にめぐまれている岩松。それを利用し、いい学校だなとだれからも思われるそんな岩松小学校になってほしいと思う。100年をこえ永遠に続くそんな岩松小学校に。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 岩松小学校章