【広報ふじ昭和47年】ぼくらのまち
田子浦小学校 6年 望月光明
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わたしたちの市は、南に駿河湾、北に富士山と自然にめぐまれた土地だ。わたしたち人間は、この自然をおおいに利用し、今日の富士市を築きあげたのだ。
今、わたしたちの住む富士市は、県下で弟2位という大きさの工業都市となったが、その反面、公害というものを作り出してしまった。
わたしたちにあたえられたしめいは、この公害を、どうしょぶんしていくかにあるのだと思う。それには、けっして他人まかせではいけない。なぜならば、公害とは工場だけが出すのではなく、わたしたちがなんとなく川にゴミをすてるのも、それも公害だからだ。富士市民が総ぐるみで公害に対して、よく考えていけば、いつしか公害もなくなることだろうとぼくは思う。
また、工業だけでなく、農業にも力を入れたらどうかと思うのだ。たとえば水田だが、農家の人たちが協力して、せまい田をひとまとめにし、大きな田を作って田のせわをすれば、自然と仕事もはかどることだろうし、農業の機械化も楽に行なうことができるのではないかと思う。
公害の問題も、農業の改革も自分の利益だけを考えていてはいけないのだということが言える。つまり、富士市を発展させ、住みよい町にしていくには、他人まかせや、自分の利益だけを考える、ということのないようにしなければいけないと思う。
吉原小学校 6年 佐藤裕一
- 写真あり -
ぼくのうちのものほしに登ると、雪げしょうも美しい富士山が、ぱっととびこんでくる。毎日見ているのだけれど、いつだっていいなあと思う。特にこのごろのように、毎日よい天気だと、富士山もごきげんで、山全体をすっきりとみせてくれる。
日本一高く、日本一美しい富士山。富士市に住む人たちのうちから、富士山はどこからでも見えるのではないかな。
「富士市」その名のごとく富士山は、富士市のシンボルといってもいい。でも富士山を背に、南の方を見わたすと、高いえんとつが林のようにならんでけむりをはいている。これが大気汚染の原因をつくっているのだな。
南にひろがるするが湾には、ヘドロで全国的にその名をはせた田子の浦港がある。でも、ぼく達の富士市は、製紙の町として古くから発展してきている。紙といえば富士、富士といえば紙。富士市で生産される紙が、新聞紙、ボール紙、印刷紙、そしてぼくの使っているノートにまでつながってくるのだ。
西にむかってみよう。ぼくの家のすぐ前に吉原中央駅がある。毎日はきだされたり、すいこまれたりするお客さんの数はすごいものだ。富士市を縦横に走る道路。私鉄も南と北をむすんでいる。東名高速道路も、富士市の北よりを白く走っている。これが、ぼくの家のものほしから見たぼくの町「富士市」だ。
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