大気汚染を防止するため、昭和43年10月からイオウ酸化物の測定を実施していますが、このほど3か年間の測定結果がまとまりました。
イオウ酸化物の測定は、現状をは握するために市内32か所で二酸化鉛法による測定を実施し、比較的に高濃度が出現する6か所と、あまり汚染していない地点1か所(大渕中)に自動記録計を設置してはじめました。6測点の測定結果は別表のとおりです。
測定をはじめた昭和43年から44年の前半はすべての測点で環境基準を超えていました。このため、昭和44年から国の排出基準の2分の1という厳しい指導基準を設け、大手企業と施設の改革や低イオウ重油の使用などを盛り込んだ「公害防止協定」を結びました。
この結果、高濃度の汚染地区は大幅に改善されました。しかし、重油使用量の増加などによって、吉原第三中、勤労青少年会館に比較的に高い汚染が現われました。この2測点も昭和45年の後半からは減少しはじめ、昭和46年の1年間平均では、1時間値0.05PPmの環境基準を超えている測点は富士保健所と元吉原中学校だけとなりました。
市内7か所の測定平均を環境基準と比較すると、1時間値の期間平均0.05PPmは43年(10月から44年9月。以下同じ)が0.057PPm、44年(10月から45年9月)が0.056PPm、45年(10月から46年9月)は0.046PPmとなっています。0.2PPmの時間数99パーセント以上は、43年が98.5パーセント、44年が99.5パーセント、45年が99.9パーセントとなっています。1日平均が0.05PPm以下の日数70パーセント以上は43年が42.8パーセント、44年が44.2パーセント45年が60.0パーセントとなっています。1時間値が0.1PPm以下の時間数88パーセント以上は、43年が86.1パーセント、44年が88.8パーセント、45年が94.1パーセントとなっています。
以上のように、イオウ酸化物の濃度は年ごとに減少しており、ほとんどが環境基準に達していますが、1日の平均ではまだまだ基準を大幅に上回っています。このため、低イオウ重油の使用などイオウ酸化物の絶対量を減らすための施策を実施していきます。
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( 図表説明 ) 自動記録計によるイオウ酸化物測定値(市内7か所・昭和43年10月〜46年9月)