左の写真は明治40年ころの田中新田地先です。東海道の南側から民家と富土山を写したものです。
この民家は田中新田に住んでいる高木治作さんの先祖の住いでしたが、いまこの場所には上野好雄さんの住いが建っています。
そのころ、東海道の南側は民家が連なっていましたが、北側はまばらでした。写真の高木さんの家は北側で、スイホシ(昭和放水路)に一番近く、部落の東端でした。軒下に大八車が見えます。この大八車で毎日大宮(富士宮市)へ野菜の行商に行ったということです。家の前に立っている婦人は、高木のぶさん(88歳)の若き日の姿です。
なお、左の写真の民家は大正の初め200メートルくらい西へ移転しました。15坪の本屋の藁をはぎとり、骨組みはそのままこわさないで、近所の人たちが東海道(国道1号線)いつぱいに広がって、2時間あまりかかって運んだということです。いまでは1分間に500台の自動車が走るという国道1号線。なんとなく当時が懐しくしのばれます……。(鈴木富男稿)
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