写真左は江戸時代の画家、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の登山の絵です。その頃の人は富士山に登るときは、身を清め、白衣に身をかため“六根清浄”を唱えながら険しい山道を極めていました。
写真右は現在の登山風景です。五合目まで自動車でいくレクリェーション的な登山と、昔の登山と意義や観念がまったく違っています。
古代の人たちは富士山を「火の神」としてあがめてきました。そして高い山を“神”とする山岳信仰が生れました。奈良時代になると仏教が伝わり、山岳宗教が発達し、山に登ることによって神や仏に近付いたり、一体になることができると考えられるようになりました。
平安時代になって「未代」という僧が山頂に大日如来を祀り、ますます修験道として栄えました。室町時代になると、一般の人たちも富士道者として登山するようになりました。さらに江戸時代になると“富士講”がつくられ、登山者の数も増えました。そのため、表口である吉原湊(現在の田子の浦港)はたいへんにぎわったと伝えられています。(鈴木富男稿)
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