左の写真は、潤井川にかけられた旧東海道の青島区と河原宿区をつなぐ木橋の富安橋で、大正10年に撮影されたものです。橋の上を箱型の乗合自動車が通り、橋のたもとの小屋では菓子や氷水を売っています。右端には“はねつるべ”の棒杭もみえます。
右の写真は、昭和9年にかけられた鉄筋コンクリート橋で、長さ53メートル、幅7メートルです。
江戸時代の初期には橋はなく、旅人は徒歩でわたったり、両岸へ土俵を置いて板をならべて渡っていました。正徳元年(1711)に朝鮮の使節が通ったとき幕府が仮橋をかけ、そのまま地元へ払い下げたので常仮橋と呼んで使うようになりました。
ところが、たびたび大水で流されるので費用がだせなくなりました。このころ、江戸と大阪の間を常飛脚が月に3度上り下りしていました。そこで、飛脚屋から橋の費用を出させました。このため、この橋を「三度橋」と呼んでいました。明治10年に土橋を木橋としたとき、静岡県令大迫貞清が現在の「富安橋」と命名したといわれています。(鈴木富男稿)
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