左富士 7
依田橋地先に「左富士」という名勝があります。今では昔の面影はなく、松の木が1本あるだけです。
東海道を東から西へ行くとき、富士山はいつも右側に美しい姿をみせています、ところが、依田橋地先では松並木の間から左側に見えたので、ここを「左富士」といい東海道の名勝になっていました。
「左富士」の名のおこりは、西行法師(鎌倉時代の歌人)が京都へ上る途中、依田橋までくると急に富士山が左側に見え、その美しさが格別だったので「左富士」と名づけたのがはじまりといわれています。
江戸時代の画家安藤広重が、天保4年(1833)に将軍が朝廷に馬を献上する行列にくわわり、東海道を上るとき「東海道五十三次」の風景を絵にしました。そのうちでも「左富士」の絵は特にすぐれている名画だと、広く海外にも有名です。 (鈴木富男稿)
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