左下の写真は、今から40年くらい前の吉原本町通りです。馬車鉄道のレールが見えないので、大正時代の写真でないことがわかります。
大正時代の末まで吉原駅前から富士宮市まで馬車鉄道がラッパを吹いて通っていました。これは、入山瀬の富士製紙会社の原料や製品を運んだり、人を乗せるために明治23年につくられました。しかし、身延線の開通と富士駅が設置されたため、馬車鉄道の存続価値がなくなり40年間にわたって使用されましたが大正末期に撤去されました。
左に眺峰館のトンガリ尾根が見えます。フォードの乗用車が走っていますが、おそらく中山秀雄さん(吉原ではじめて車を持ち営業をはじめた人)のタタシーと思われます。女学生が2人カバンを背負って歩いています。
右側にはこどもを連れた和服姿の婦人が見えます。そこを曲る道の手前の角が今の市川酒店です。今は鉄筋の美しい店舗が立ちならんでいる吉原本町通りも、わずか半世紀前まではこんな町でした。現在の写真とよく比べて見てください。
*風景や風俗などのめずらしい写真をおもちの人はお貸しください。連絡先は市史編さん室(富士事務所)または秘書課広報係(本庁)です。
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