吉原湊に橋がかけられたのは明治6年の秋でした。当時は交通機関としてはカゴか馬しかなかったので、ほとんどの旅人は歩いていました。したがって、旅人は少しでも近道することを考えました。
このため、静岡県は“便道”という道を使用させました。この便道は、富士川を渡り五貫島、宮島、柳島、前田をとおり吉原湊を渡って鈴川へでる道で、吉原宿をとおるより約4キロも近道でした。
その頃の吉原湊は、江戸時代初期のような繁栄した姿はなく、漁船が出入りする港でしかありませんでした。
それから100年。港の様相は一変し、2万トン級の外国船も出入りできるような立派な港になりました。
この港を高波から守るため献身した野村一郎、長橋富作、伊達文三らの先人もさぞ驚いていることでしょう。
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( 写真説明 ) 写真=左は明治6年に吉原湊にかけられた橋。右は現在の田子の浦港。(鈴木富男稿)=写真の転載を禁ず=