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【広報ふじ昭和42年】富士川は流れていなかった 沖田遺跡発見

今泉耕地の沖田地先でさる12月14日に弥生後期(1,700年から1,800年前)の土器片や舟のカイなどが発見されましたが、1月14日に新しく住居跡と思われるカヤぶき屋根の一部や矢板、土器片などが発堀されました。この発掘により、弥生後期すでに集落があり、水田農業を営んでいたことが明らかとなり、考古学上に貴重な資料を与えてくれました。

弥生後期(1,700年前) 祖先の大集落か

 発堀された場所は、通称「大島」と呼ばれるところで、岳南鉄道原田駅の南約1,000メートルの今泉耕地の中央部です。かって、明治大学の故後藤守一教授が“吉原の古墳”という書物の中で「吉原地区には登呂のような大遺跡が必ずあるはずだ」と予言していましたが、まさか今泉耕地の中央部から発見されるとは、だれも予想していませんでした。弥生時代の住居跡は伝法、今泉など市内数か所で発見されていますが、いづれも丘の上ばかりで湿地帯から見つかった住居跡は沖田遺跡が初めてです。
 出土品は土器、木器、杭、矢板などで、岳南3号排水路のヒューム管埋設工事中に、深さ4メートルの土中から発堀されました。
 土器は、土堀りのとき破損してしまいましたが盃型土器、かめ型土器など大小約20種のつぼや皿類の破片約300点です。土器は煮物などに使用したとみられ、内部は黒くなっています。

櫂・矢板などが出土

 木製品は深鉢形木器の一部や矢板などです。カイが発見されたのは県下で初めてで、長さ一・二メートル、幅7.5センチで手ににぎる部分だけ丸くなっており、丸木舟や小舟を漕ぐのに適しています。矢板は、約10枚発堀されています。これは水田の土どめに使用されたものとみられ、大きなものは長さ2メートル、幅23センチ、厚さ12センチもありモミやスギでつくられています。そのほか土どめ杭も何本か発堀されています。
 住居跡としては、黒く炭化したカヤぶき屋根の一部と、天井に使ったサンの一部とみられる木片がみつかりました。カヤぶき屋根は、当時住居か倉庫にしか使用しませんでした。このような出土品から、この附近に多くの人々が住み、地縁共同体(土地を仲介とした共同体)をつくり集落を営んでいたことがうかがわれます。
 また、出土したカヤぶき屋根のカヤが炭化している、カイや杭など木片の一部が焼けているなどから推察して当時火災があったと思われます。

沖田(今泉耕地)は陥没した?

 遺物の発見された地下4メートルの場所が当時の地表であって、その上の4メートルはほとんど青粘土で、砂礫がないことから、今泉耕地は当時富士川と直接つながっていなかったと考えられるとともに、通称「大島」と呼ばれているところから、一つの島になっていたとも考えられています。しかし、すくなくとも郷土に伝わっていた今泉耕地は富士川の流れになっていたという説はくつがえされたことになります。
 さらに、今泉耕地を中心とした区域が、ある時期に陥没したのではないかと見られています。その理由としては、出土品がすべて地下4メートルのところから発堀されており、その近くから草の根などもみつかり、地層に砂礫がないなどがあげられていますが、くわしいことは今後の研究をみてみたいと思います。

登呂遺跡に匹敵

鈴木富男中央図書館長は「弥生時代の土器や木器が発見されたのは非常にめずらしいことです。わずか幅5メートルを堀ってこれだけの出土品があったのですから今後の調査によっては登呂遺跡に匹敵する遺跡があるのではないかと思われます」
- 写真あり -
( 写真説明 ) 沖田遺跡から出土された櫂、土器、炭化したか屋根の一部=中央図書館保管
- 図表あり -
( 図表説明 ) 沖田遺跡位置図
( 図表説明 ) 沖田遺跡の土器
添付ファイル
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